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高丘親王航海記 / 澁澤龍彦著 快楽主義の哲学 / 同著 [読書の楽しみ]

高丘親王航海記 / 澁澤龍彦著 快楽主義の哲学 / 同著

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【快楽主義の哲学】

「最初に身も蓋もないようなことをいってしまえば、人間の生活には目的なんかないのです。
人間は動物の一種ですから、食って、寝て、性交して、寿命がくれば死ぬだけの話です。」

最初からいきなりカウンターを喰らったかのような書き出し。
幸福とは何か?の定義から始まり、目的のない人生に新たな目標を構築すべく、
孤高の精神論を説いた著。

長いが引用します。

「また、生活が便利になった現代にくらべて、むかしの人は不幸だった、などと考えることも
できません。電気がなくて、ろうそくをつけて本を読んでいても、けっこう、二宮金次郎は
幸福だったでしょうし、汽車がなくて、江戸から東北地方までてくてく歩いて行った松尾芭蕉
も、べつに自分が不幸だとは少しも思わなかったでしょう。いや、むしろ彼らはそうした苦し
さ、不便さに、進んで自分を幸福と感じるための根拠を見いだしていたらしいのです。
ただ、それは彼らだけの満足であって、他人にはまったく関係がなかった。
風流を知らず、俳句のよめない人が、こじきみたいにとぼとぼ奥の細道を歩いて行ったって、
どこにも幸福なんか見つかりっこないのです。」

この胸のすくような文章!!
「自分探し」とか、「アイデンティティがどうの」とか、能書きたれる前に何が必要なのか、
よく判る思います。

また文間に挿入される、文豪達の言葉も含蓄のあるものばかり。

「おのれ自身を知れ。この金言は、有害であるとともに醜悪でもある。
自分自身をよく知ろうと苦心する毛虫は、いつになっても蝶にはならないはずだ。」
(アンドレ・ジイド)

「幸福になる必要なんかありはしないと、自分を説き伏せることに成功したあの日から、
幸福がぼくのなかに棲みはじめた。」
(同)

知らぬ間に身についた、または強要された、常識や理念が音をたてて崩れていきます。
新しい快楽を、自分で味わい、自分で発見することに人生の意義がある。
と本書は結ばれています。

この本が、1965年に刊行されていることに驚きを禁じ得ません。

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【高丘親王航海記】

著者の遺作。
夢と現実の世界を行き来しながら紡がれる怪奇幻想譚。
傑作です。

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